28 January 2011
あれから一年・・・
とうとう本日でバルセロナに来て一年。
時の流れ行くのがあまりにも早くて、
去年の今頃コペンハーゲンのチボリ公園で震えていたのがウソのようだ。
快晴のバルセロナ!からお伝えしたかったが、
残念ながら本日、こちらは雨模様。
こちらに着いたばかりでムーンウォークばりに浮き足立っていた私だが、
この一年で少しは地に足がついたのか?
それともマリスカル作の写真のエビちゃんばりに空に跳ね上がっちゃったのか。。。
この点は誰も知る由はない・・・。
さて、バルセロナで何を得たかと言えば、人との出会いに尽きるのではないか。
あらゆる面で価値観の違うことは大前提なので、
共通認識みたいなのがまかり通っている日本で、ズレぎみの私がもがくより、
一から人間関係を作っていくこちらの生活は、刺激的だけど心地よい。
はじめのピソの大家の息子は、数年前の事故の影響で、
「博士の愛した数式」を地でいく記憶喪失。
話題はすべてスピリチュアル系だったので、
乗っけからコミュニケーションに困難をきたしたり、
引っ越せば、目下係争中の部屋乗っ取り事件が起きたり・・・。
細かく上げればキリがないけれど、
それもバルセロナで暮らす醍醐味!?と言えるのかしら。
もともとネガティブなのでそれは青空の下でも変わらず、
トータルで見ればやっぱり凹んでいる日の方が多いかもしれないが、
ギリギリのところでいつも助けが入ったり、
パッと開ける出来事が起きたり。
それは散々落ち込んでいる日々の蓄積がちゃんと影響しているからこそ。
なんて前向きに考えてみる。
ずーーーっと同じペースで走り続けるより、
ここぞ!!ってところで全力疾走するのがスペインのスタイルなのかな、
と最近思う。
スペインワールドカップ優勝も然り。
結局、最後にゴールを決めた者が賞賛に値する。
スペイン人、怠け者だと思われているけれど、
一瞬の輝きのために絶対日々努力しているはず。
ただ、そこに至る努力は見せない美学があるんじゃないかしら。
そういう意味で彼らはエンターテイナーだなぁと思う。
「これだけ努力しました、だけどできなかった」は言い訳にならない。
そういう意味では、けっこうシビアな世界。
大学でもそうなんだけれど、
言われた課題を言われたままに出してくる人ってあんまり喜ばれない。
求められたものを求められたようにやるのは当たり前。
そこに自分なりの発想でプラスαしてこそ認められる。
私なんかはまだ怯えがあって、それやりすぎじゃない?とか思って、
その枠を超えられてないのが現状だけど・・・。
バルセロナ第二ラウンド、どう転がっていくのだろうか。
以上、雑感も雑感。
27 January 2011
大人の工場見学
日本でも流行っていると聞くけれど、
大人の工場見学に行ってきた。
こちら、メトロ5番線 Sant Pau Dos de Maig駅近くにある、
Antigua Fábrica de Damm(旧ビール工場)
毎週水曜日に一般に開放していて、旧工場内の見学、
および、ビール飲み放題が付いて、なんと無料!!!
もちろん私たちの目的は、見学よりも・・・ビール!
工場内には大きなビール製造タンクや新旧のビールサーバーやグラスの展示、
はたまたメーカーの歴史ビデオやらビール広告の変遷などなど、
それなりに楽しめる。
だけど・・・一緒にいったみんなはそれらの展示もそこそこに、
ビール、ビール!とそわそわしっぱなし。かくいう私も同類・・・。
というわけで、ビールが振る舞われているカウンターまで急ぐ。
ご覧の通り、すごい人だかり・・・そしてお年寄りがいっぱい・・・。
どうやらこの工場、
定年を過ぎて時間がたっぷりある人たちの社交場と化している模様。
そんな中に混じって、若者も負けずに行列に参戦。
振る舞われているのは、Dammグループの主要ライン、
Estrella Damm、Free Damm 、Voll Damm、Bock-Dammの生4種。
ココまで来て、アルコールフリーのビール飲む人いるのかな・・・。
そしてなんでか知らぬが私たちの番が来た時、
最近市場に出ているEsrella Damm INEDITをいただけることに。
このビール、世界最高峰のレストランと讃えられている
エル・ブリの(elBulli)のシェフ、フェラン・アドリアや
ソムリエたちが開発に関わったらしい、ということは聞いていた。
さて、お味の程は・・・うん、まろやか。
ちょっとした甘みも感じ、炭酸のひとつぶひとつぶがとても細かい。
と、味がわかっていたのはここまで。
あとは勧められるがままにひたすらおかわり・・・。
他のビールは結構炭酸が強くて、込み上げてくるものを抑えるのに難儀。
途中、ここの支配人と名乗るおじさんが登場。
飲んだくれてうわの空な私たちに、かなりの熱弁を披露。
そうそう、この工場内、大きなフロアがあって、
コンサートなんかにも使われている。
音響設備を見ながら、ここでパーティーできたら最高よね〜♪と、
私たちは人のいないフロア、しかも音なしでリズムを取り始める・・。
こんな撮影大会が始まったりも・・・。
数時間後・・・。
カウンター前にあれだけいたはずのご老人たちの姿が消え、
気づけば工場内、私たちだけに・・・。
スタッフに、「もう終了の時間です〜!ここから出てください〜!!」
と最後通牒を突きつけられてしまった。。。
とにかくえらい満足できたこの工場見学。
水曜にかけてバルセロナにいらっしゃる方、訪れてみてはいかが?オススメ。
事前予約はコチラから。
↓
Antigua Fábrica de Damm
この日、散々飲んだ後にまったくシラフの友人と会ったのだけど、
ベロベロの私を前にして大笑い!そしてドン引き??
ほどほどに、が一番ですな。。。
22 January 2011
Gaigo先輩 in バルセロナ
Gaigo高校先輩のミサコさん、カヨさんがバルセロナにやって来た〜。
ミサコさんの大学卒業旅行にふらふらと着いて行ったことで、
バルセロナに恋しちゃったという 私の人生。
ここで数年後に再会できたことに深い感慨を覚える。
今でもはっきりと目に浮かぶのは、
北ヨーロッパを回って来た先輩たちと、
南スペインをひとり回った私のサグラダ・ファミリア前での集合の日。
今回、それを再現しようとしたのだが、
この日、どうやらサグラダ・ファミリアは塔に登れないってことらしく、
それでは・・・とこちらもガウディ建築、カサ・ミラでの集合。
グラシア通りから二人の姿が現れた時、やっぱり胸に熱いものが込み上げた。
学校の授業に行くまで小一時間あるってことで、
ちゃっかり一緒に見学させていただくことに。数年ぶり〜。
サグラダ・ファミリアなめの シューティング・スポット。
一月は観光客が少なめなので騒がしくなくてよかった。
そして私の授業も終わり日本では丑三つ時もとっくに過ぎた早朝か。
スペインの夜はここから始まりますーーー!!!
と宣言し、お二人をディープ・バルセロナへいざなってしまった。
前々日、学校にちょっと重めの課題を提出し終わった私たち。
ちょうどこの日はクラスメイトと打ち上げ的飲み会の約束をしていた。
集まること十数名。俄然飲む気満々の輪の中にお二人を投入!
写真はすでに2軒目なんだけど、
それがね・・・1軒目を出てからというもの、
このバルを見つけるまでに寒空の中を散々と放浪しまして・・・。
こういうときのスペイン人の決断力のなさっていうか、
良く言えばおおらかさなんだけど・・・。
早くどっか入ろうよー!!!と言いながら、
この人数で入れなかったり、気に入らないとかで、
あっちへ行ったりこっちへ行ったり。いつまで経っても決まらない。
「コレ、何待ち??」という先輩のツッコミに返す術なし・・・。
仕舞いには路上でパキスタン人からビールを買い始める。
凍っていて飲めてない子もいるし・・・。
そうこうしているうちにどんどん薄暗がりの怪しい界隈へ。
コレが通常ってなっちゃってる私には失くしてしまった感覚だったけど、
ちょいと怖がらせてしまってごめんなさいね・・・。
まぁそこはGaigo魂?
ひとたびこの閑散としたバルに足を踏み入れれば、
放っておいても会話してくれるので、ホッとした〜。
さすがに・・・ってことで、お二人は早めの帰宅となったが、
その後も私たち、飲み続けて踊りに行ったり・・・。
翌日の二日酔いったらそりゃひどくて。。。
そんなこんなで彼女たちにとってはすでにバルセロナ最終日。
落ち着いてのタパス会。
若干日本の情報が欠けている私だが、
思う存分新旧ドラマの話題で盛り上がったり、
通常生活とは別の空間に浸れてそれはそれはステキなひととき。
ここ数日、同居人トラブルや温水器、ストーブの故障などなど、
身も心も寒々することばかりだったけれど、
まさにベストタイミングでの二人の来訪。
賞味二日間。短過ぎるよぉ〜!!!
名残惜しいお別れとなったのだった。
Gracias :)
21 January 2011
冬将軍の襲来
焦げてる・・・。
もう踏んだり蹴ったり・・・。
コチラ、部屋のストーブのコンセントなんだけど、
さっき設定温度を上げようとスイッチをひねった瞬間、
バチバチっという音とともに閃光が放たれ、燃えた・・・。
いわゆる、ショートしたってこと?
ストーブ本体。
かなりの年季が入っております。
そして片足が外れているので敷板でフォロー。
それでも使えてたからやり過ごしていたのだけれど、
ついに来ましたか。お湯が出ない次はストーブなし生活。
一杯のかけそばでもすすりたい気分だよ、トホホ・・・。
恐る恐る取り上げたコンセントから発せられる焦げた匂いが
部屋中に充満したのと、
中途半端な残りの冬をどう乗り切るかが頭によぎったことで、
軽くトランス状態に。
やっぱりもうダメなんですかね?
もう一度コンセントを差し込む勇気、今の私にはない・・・。
早くも部屋が冷え込んで来たので布団かぶってこれ書いているのよ。
19 January 2011
めぞん一刻崩壊の危機!?
ウグ、ウググ、ウググググ・・・。
やっと、やっとの思いで昨日大学院へ課題を提出し今日はホッとできるー!
と思っていたのに・・・。
いきなり寝起きにピソのお湯が出ない・・・。
いや、正確には昨日の午後から。
前兆はあったものの学校に行くので焦っていてそのまま放置。
昨夜も遅く帰宅しくたびれたままベッドに直行、まったく気づかなかった。
いくら日本より温暖だとはいえ、この季節の冷水シャワーは自殺行為・・・。
とはいえ、本日は重要なプロジェクトで人に会う約束があった。
寝グセのまま出向くわけにはいかなかったので、
結局、今朝はコンロで湧かしたお湯をバケツに貯めてバジャバジャと行水?
みたいなことしてやりすごしたわけであるが・・・。
2011年、私たちが思い描いていた車が空飛ぶ社会はどこ行った??
ま、それでもココはスペイン。
前にも同じ事が起こったから、そこまで凹まなかった。
ダメなら誰かのウチでお風呂借りれば済むことだしね〜ぐらいに思ってた。
が、しかし!
一連の流れで修理の人に電話すると、
2ヶ月程前に新しくしたボイラーの保証書が必要ということで、
マドリッドに住む大家である友人に電話することになった。
そこで発覚した事実・・・。
友人:
「そういえば、Jが彼女と住むからあなたと部屋を交換したいって言ってるんだけど、
ピソの諸々の業務を引き受けてくれるんならって条件でOKしちゃったよ!」
私:
「はぁ?はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?????
聞いてないよーーーーーーーーーーー!!!!!」
Jとはコロンビア人の同居人。
清潔だし決められたことはやってるから、
同居人の中では一番まともな方だと思っていた。
なのに・・・裏切られた気持ちでいっぱい・・・。
かねてからその彼女って、もはや住んでる??
と思われるくらい頻繁に私たちのピソに来てはいたんだけど、
最近になって、歯ブラシとかの私物、堂々と置いているので、
ちょっとおかしいとは思っていた。
そしたらついに出た!!!
しかも激しい衝撃波として!!!
私の部屋、乗っ取り作戦なの・・・。
てか、そんな大事なこと、まず第一に私に言うべきじゃ?
いくら大家は私の友人だとしても・・・。
そして、友よ、そのことを受けた電話で私に言うな。。。
日本人、義理と人情で生きてるんじゃ。
物事、順番まちがっちゃあ筋が通らない。。。
てな理屈もここでは通らない。。。とでもおっしゃるつもり?
何かと流されて来たバルセロナ生活だけど、
今回ばかりはちょいと抗ってみたい。
だって、このピソ、今の部屋に住めるからこそ借りたんだから。
友人に代わってピソの管理業務をしたり、
合計4人での共同生活に耐えたり、
それも広い今の部屋があってのものだね。。。
それにしたって、5人で住むことになる上に、
私は窮屈な部屋に移動しろだって??
いくら管理人の業務から解放されるとしたって・・・
話が違う!!!
さぁ〜て、この先どうなることやら。
友人には、とにかく本人と話してから決めたいし、
今の時点では、賛成ではない。との旨伝えたが、
Jは外出先から彼女と帰宅した今も、
私に用件を話そうとしてくる様子はない・・・。
私から話を振るのもバカらしいので、
あっちが言ってくるまで放っておくつもりだが、
とにかく胸がムカムカするし、
晴れやかな気持ちが台無しになったの、どうにかしてくれ!!!
14 January 2011
キターーーーーーー!!!
もうこの標題しか思いつかなかった・・・。
だって、
織田裕二が、バルセロナに、キターーーーーー!!!
んだから。
というよりいるみたい。
昨日、家への道をとぼとぼ歩いていると、
尋常じゃないアジア人の団体・・・と思ったら日本人。
近づくとなにやら撮影している。
あんら〜、人だかりの真ん中にオーラを漂わせるあの方は・・・
そうです、世界のYUJI ODA!
この暑い中、キャメルのコートがお似合いだった。
日本人スタッフは皆さんピリピリしている様子だったので、
近くにいたスペイン人スタッフに尋ねると、
映画の撮影で4週間ここに滞在するんだとか。
そしてそのタイトルが、"KURODA"...........
一体何が黒なのかさっぱりわからぬままだったが、
やっとその謎が解けた。
昨日から日本で「外交官・黒田康作」ってドラマがスタートしたんですってね。
ちょっと前に公開された「アマルフィ」って映画の続編だとか。
スペイン人、テキトーだなぁ。映画じゃないし・・・。
ところで、あらすじによると、
サンフランシスコやメキシコが舞台ってなっているけど、
まさか、バルセロナで撮影しといてサンフランシスコもどき・・・
なんてことにはならないよね・・・。イヤだわ。
実は、写真を撮った後に、福山雅治まで登場。
年末の紅白で断髪式してたのに、まだ髪長かったなぁ。
私の頭の中には
"君よずっと幸せに〜♪"と今さら「桜坂」が鳴り響いたのだった。
しばらく見物している間、ずっとリハをしていたのだけれど、
福山氏から発せられるセリフ、
全部「兄ちゃん!!」にしか聞こえなかったのは私が古いだけなのか。。。
織田氏といい福山氏といい、どうしてもドラマ黄金期のイメージが抜けない。
日本のみなさん、ドラマの今後の展開、ぜひお知らせください。
※後日談。
日本の某情報筋により、この撮影、やっぱり映画だということが判明。
失礼しました!映画は、今年の夏公開予定の「アンダルシア」だとか。
えっ、やっぱバルセロナじゃないやーーーん!!!
12 January 2011
新春とはこのことか?
新年明けてバルセロナに戻ったら、年末のマイナス気温が嘘のような南国に。
数百メートルしか離れていない温度計は、15℃だったり20℃だったり、
結局のところ何度か定かではないが体感温度はすでに20℃超えを記録。
また本日は快晴にてひなたぼっこに出る人続出である。
これならビーチで昼寝も風邪の心配はなさそう。
街ゆく人が少しずつ薄着になっていくのを見ると、
外出するのも楽しくなるというもの。
去年のように3月に雪が降る、なんてことがないまま、
ポカポカ陽気の春が訪れるといいなぁと切なる願いを託す。
11 January 2011
眠気のバルセロナ
日本から戻り未だに時差ボケの抜けない体・・・。
ここ数日、21時に就寝、5時前に起床という
森田健作顔負けの生活リズムを繰り返している。
しかしながら、本日とうとう学校が始まってしまった。
そこで問題なのは授業時間。日本で言えば午前1時〜5時。
こりゃ踊りに行かない限り起きてないよってな時間帯で・・・。
当然、授業開始とともに頭が朦朧とし始めて、
しばしばどこかにトリップ。
仕舞いには、深呼吸したつもりが呼吸困難かと思われて、
「ちょっと、どうしたの!??大丈夫???」
と隣のクラスメイトに突っ込まれる始末・・・。
いやー、本日かなりキツかった。
みんなと話し手はいたけれど、帰りの電車はほぼ頭の中真っ白だったわ。
そして、いいかげんこれじゃイケん!と一念発起!?
現地時刻23時30分を回ろうとしているけれど、
こうして無理くりブログを綴っているのでした。
あ、ちなみに写真は全然関係なくて昨日歩いている最中に取ったもの。
ビルの2階の踊り場から白衣姿のマネキンがこちらを覗いていて・・・。
目が合ってかなりの恐怖。
一体誰が何のために置いたのか。。。
一階部分が薬屋だからか?
そんなシュールなことするようなお店には見えないのだけれど。。。
08 January 2011
ハポン - ダイジェスト
日本にいると言いながら、気づけばバルセロナである。
時が経つのは早いもの。
日本に帰ったらあれもしたいこれもしたい、
と考えていたものの、できたことといえばほんのわずか。
滞在中はまったくヨーロッパ時間が抜けなかったというのに、
いざバルセロナに戻ると今度は日本時間に体が変更・・・。
朝も早よからつれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書きつくろう。あぁ、あやしうこそ物狂ほしけれ。
お取り寄せおせちなぞには私の食べられるものは皆無で、
ただ眺めて日本気分を味わっただけであったが、
やはり何が食べたいって、それは母の手作り。
煮卵、今年はバルセロナでも挑戦したいが、
こちらの賞味期限がやたら長い卵には不安を覚える。。。
慌ただしくもここは外せんと、中目黒collanにて
Mr. Miyazawaに髪結いしていただいたり、
バルセロナ訪問第一号のチエミちゃんに再会したり。
新丸子、ユッキー&ミッキーこと関夫婦とは
イタリアちょうちんでたらふく海の幸を食らい、
山積みになったホタテの貝殻で武田久美子を気取った後は、
ミッキー調達のNHKスペイン語講座でビバ・エスパーニャ!
そうして次会う時は新しいマンションに越してゆく〜、
や〜まだくん、さ〜よなら〜♪をしてきたのであった。
そして初詣もそこそこに、葉山牛に舌鼓。
久々にいいお肉で少しは血液が増えそうな新年の幕開け。
しかしながら、ここらあたりから私の胃の許容量は限界を超え、
常に膨満感とともに過ごすことになる。
あーさま&くぼっちペアと再会の頃には、
日本到着時より2.5kg増・・・。
正月太りとはこういうことを言うのであろう。
それでも念願の中華を
諸先輩方の人生訓を聞きながら心ゆくまで堪能。
いつかこの丸の内でヒールの音を響かせる日が来るか来ないか・・・。
EU内にいながらひとまず日本での密会となった。
泣いても笑っても最終日。
こちらもバルセロナ訪問組のウタさんと鎌倉散歩。
海辺のバルセロナに明日帰ろうというのに、
やっぱり鎌倉の海が見たいと言い張り、
昼間のぽかぽか陽気と打って変わって、
突風が吹きすさぶ由比ケ浜へと連行してしまった。
そして最後の晩餐。
ウタさんからいただいた手作りパンと共に出てきた のは、
私がバルセロナから持ち込んだつまみたち・・・。
戻れば嫌というほど食べれるのですが。。。
というツッコミも 我が家ではどこ吹く風。
それでも楽しい食卓となった。
一夜明け、なぜか私は空港内をダッシュすることに・・・。
余裕を持って空港に到着したのが仇となり、
KLM職員にAir France便への変更を懇願される。
おかげで予定時刻が2時間早まる。
あれよあれよという間に搭乗時刻。
母とのランチも叶わず、別れの余韻もないまま出国手続きへ。
すでにファイナルコールが連呼され、
生まれて初めて名前を呼び出されるハメに。
予定時刻の3時間前に空港に着いた筈なのに、
なぜか遅刻の烙印を押されるのであった・・・。
おかげかどうか、
アムステルダム経由が急遽シャルル・ド・ゴール行きへ。
雨降るパリを代わりに眺めておいたぞよ、ユッキー。
そうして戻ってきました、バルセロナ。
冗談ではなく新年、この街では未だにクリスマスが続いている。
出発前とまるで変わらぬ風景に、
日本滞在がまるで一夜の夢のように感じられたのであった。
04 January 2011
Feliç Any Nou!!!
あけましておめでとうございます。
と、新年のバルセロナの風景をお伝えするつもりが、
この風景、空港バスの車窓から見えて来た。
似てるけどやっぱり違う我が故郷、横浜。
クリスマス前の熱病から浮かれたままの到着。
正月はやはり日本という結論か・・・。
とはいえ、帰国早々、日本の中のスペイン訪問が続く。
一年に一度、高校時代の恩師の生存確認。
こちらがスペイン語で話しかけても日本語で返事が・・・。
さすが私の親より日本生活長いだけある。。。
相変わらずの毒舌ぶりにまだまだ元気だ、と一安心。
そして愛人ユッキーと定番スペインバルにて再会。
う○ち人形カガネが見守る中、
バルセロナよりおいしいかもしれない3種のタパスをパクつく。
そして自宅ではバルセロナから調達してきた
Penedés産のワインで乾杯!
Penedés産のワインで乾杯!
「母上、白い御飯が食べとうございます」
とならない悲しい嗜好。
特に日本らしいことをすることもなく、
時差ボケにひたすら苦しみながら、
それでも今、私は日本にいる。
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