30 July 2010

nadar nadar - ナダール -




「今まで生きてた中で一番幸せ!!!」
というあの名言が生まれた地、Piscines Picornellに泳ぎに行った。


1992年のバルセロナオリンピック、
私はまだ小学生でしがない水泳少女だったけど、
そんなに歳の違わない14歳の岩崎恭子ちゃんが、
(なぜか未だに「ちゃん」付け呼んでしまう)
この発言をした時、うれしさ半分、
この人の今後の人生どうなっちゃうんだろ?
と子供心に若干不安に思ったっけ。
あぁ一体何様だったんだろ?


はい、本日もちろん平泳ぎ。
当時の岩崎恭子ダブルスコアな私ですもの、
そりゃ相当泳がにゃ脂肪も燃焼しないってわけ。


そんなことを私が考えているなど想像もつかぬであろう友人は、
ひたすら日焼け&読書に励んでいたが、
その横でかれこれ泳ぐこと1km近く。


文系進学校のくせにやたら体育が厳しかった高校は、
この時期プールをサボると放課後の補習が待っていたっけ。
そえばこんなに真剣に泳いだのって、それ以来だわ。


体育の授業なのに勝負ビキニを着て来たり、
ニコちゃんマークで前が見えないゴーグルつけてたり、
本気で泳げなくてプールの水飲み過ぎて、
授業後「お腹いっぱい」と発言したり、
そんな友人たちをひとかきずつ思い出した。


ノスタルジーに浸りがちな今日この頃だったが、
なんだか泳いだらすっきりしたぁ!


※おまけ
カイリー・ミノーグ "Slow" のPV
こちらは飛び込み用プールだけど、
眺めはこんな感じのとこなんです。
くぅねくねしてるとこじゃなくて、
初めのとこ見てくださいまし。





29 July 2010

友人来たりて観光2 - ダイジェスト編


日本からの友人来る怒濤の3週間があっという間に去って行った。
こうして誰もいなくなると心にポッカリ穴が空いた気分だ。

顔出し禁止令が出たオバラの笑顔をみなさんにお見せできないのは
残念なことだが、しばしの休暇を楽しんでくれたことを祈り、
ここに後ろ姿でちょっとしたダイジェスト。





普段は見慣れていてまったく感じなかったけれど、
案外美しかった私の学校。




Cadaquésの後に行ったFigueresにあるダリ美術館。
彼の超現実世界が私の現実的理解を凌駕した一瞬。




「あっ!花嫁さん!かわゆいぃ!そして梨花っぽい!」
と市役所前での結婚式の模様にはしゃぐ私たち。
が、まもなくして本物の花嫁が写真背後の人だかりから登場し、
一体この車に乗っかっている女子は何者?なコント的事件。



バルセロナの現代美術館CCCBにて展示鑑賞。
闇と光に埋もれるオバラ。





このジェラート、バルセロナで食べた中で一番おいしかったなぁ。


そうしてオバラは去っていった。
空港から直接職場へ向かうと言い残して・・・。


日本でモーレツに働く人々が、
ここに来て少しでも気が休まるといいなぁと思った日々。
私にとっても非日常を満喫できた日々。ありがとう!


これからこちらでの現実が待っている。

27 July 2010

友人来たりて観光2 -Cadaqués編



今回のオバラ滞在のハイライトは、
この地Cadaqués(カダケス)に尽きるだろう。


フランス国境に近いGironaの村。
この地で「バカンス」という言葉が生まれたという
話に完全に納得がいった。


ギリシャを思わせる白壁の家々に地中海。
バルセロナの海より格段に色が濃い。



壁を蔦うブーゲンビリア、歩調を合わせる老夫婦。
その先に見える光り輝く地中海。



この色調はどうがんばっても日本の太陽では作り出せない。


よくよく調べたらCadaquésは地中海クラブ発祥の地とのこと。
目下バカンスシーズンのヨーロッパ各地から人々が訪れていた。



またしても水着を持って来なかったことに後悔・・・。
わんこたちに紛れて飛び込みたくなったわ。



ここに別荘持ってる人と友達になって、絶対泊まりで来ようね!
と、一緒に行った学校の友Wan Yinと固く誓い、
後ろ髪を引かれながらこの地を後にするのだった。



友人来たりて観光2 - 月はどっちに出ているの?編


前週に引き続き、日本から神田錦町の友オバラがやって来た。
このメンバーにおいてハプニングはつきものだ。
と覚悟はしていたものの、のっけから驚くべき事実が発覚!

サグラダ・ファミリア目の前の宿を予約したとのことで、
向かった先。
扉を開けて、ハイ、びっくり!

仙人(その風貌より)ではあぁ〜りませんか!!
この方、私が初めてバルセロナに来た時に泊まった宿のオーナーで、
今回オバラが宿泊した宿の管理人さんもやっているとのこと。

バルセロナを訪れる度に顔だけ見に行ってたのだけど、
この5年間くらいはすっかり連絡を取ってなかった。
そしてつい先日、ウタさん&ぬまことグエル公園に行った時
私が泊まっていた宿の前をたまたま通りかかると、
その建物が取り壊されている最中だったのだぁ〜。汗。
なので、仙人の行方はどうなっちゃったの??と
心配していたばかりだったので、ことさら驚いた。

幸いなことに彼は無事だった。
そしてその風貌も変わらぬまま。
でも今では、
「仙人」改め「ジャック・スパロウの格好をしたビン・ラディン」
という呼び名がお似合い。


そしてジャックも私のことを覚えていてくれた。
その流れでビールをごちそうになり感激〜。
なのでオバラ滞在中にもちょくちょく寄り道。

スペインのお惣菜も、
和皿に盛ると完全に日本テイスト。

このお宿には他にも長期滞在の日本人ご夫妻がいて、
どこかで見た、と思いきやバルセロナ初のお豆腐屋さん。
私も何度かお邪魔したことがあったのでこれまた偶然。
この半年ほとんど現地日本人との接触がなかった私だが、
急にバルセロナ日本人ネットワークが開けてしまった。

それにつけても、人の出会いって不思議でならない。
そして遠くに離れているようでも、案外近かったりね。
月がぐるぐる回っているように、出会いも行ったり来たり。


自分の過去をあなどってはいけん。
そんなことを深〜く考えさせられた日々だった。

友人来たりて観光 - 米・Come編

©N.A
やっぱ海きもてぃぃぃ〜!!!
Barceloneta〜Ciutadella Vila Olímpica間の
海岸線をお散歩。灼熱、そしてウィンディ。

©N.A
こちらのビーチは若者だけのモノではないのがステキ。
勇気を持って泳げるはず。。。


逆に、
ここで服をまとっていることは「罪」な意識に襲われる。


じっとしているだけで、焦げていく・・・。
が、ヨーロッパ人よりよっぽど色白な私たち。

さて、今回ここにご案内したのは他でもない、
海の幸、そしてパエーリャを堪能すること!
私自身、この6ヶ月バルセロナでまだ一度も
パエーリャを食してなく、密かに楽しみにしていた。
実は一番はしゃいでたんです、友よ。ハハハ。


ムール貝!ベルギー人もビックリの量。
だいぶ食べ尽くしたが、鍋に山盛りで登場。
たまらんです。でもこれは前菜の中の一種。
この他にガスパチョ、オリーブ、サラダ、イカのフライ、サラミ&チーズ、
と、この時点で限界を軽く越える山盛りの嵐。


すっかり臨界点を越えたところで登場するメインたち。
イカスミのパエーリャ。


そして海の幸のパエーリャ。
どんなに大きな口を開けても収容しきれない。

日本人にはお塩がキツいよね、
日本の料理は繊細だよね。
なんて話題で盛り上がれる至福の時。

デザート&カフェもきちんと済ませ、
膨らんだお腹を抱えながらの帰途。
そのまま海に飛び込んだらプッカプッカ浮かんでられそうだった。

23 July 2010

友人来たりて観光 - 遅れてやって来た女編


本当はウタさんより3日遅れでやって来るはずだったヌマコ。
アエロフロートが整備不良で欠航という不運に見舞われ、
さらに一日遅れてのバルセロナ到着・・・。

到着ゲートからひょっこり顔が見えた時、ホントにホッとした。
God bless you!

とにかく滞在が一日縮まったので、駆け足での観光。


グエル公園〜。
私自身も最後に訪れたのは3年以上前。
いつでも人でいっぱいだけど、やはり眺めは良いですな〜。


この少女、この歳においてすでにポージングは完璧。



一方こちらは、無邪気な大人たち。



せくすぃーサービスショットのはずが・・・。
私たちの前に同じポーズで取っていた
キメキメな女子を真似したのですがねぇ。


あぁでも、やっと3人揃ったっす!

22 July 2010

友人来たりて観光 - pipilotti編


"Sí" つまりは"Yes"
この一言で受け入れられたという感覚を覚えた。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコに恋したように。

バルセロナはモンジュイックにあるFundació Joan Miró
ミロといえばカタルーニャを代表するアーティストだが、
この日の私の目的は、企画展のPipilotti Rist展を見ること。

ピピロッティ・リストといえば、
2007年末〜2008年初旬にかけて
品川の原美術館でも個展が行われたスイスのアーティスト。
この時も足しげく通ったっけ・・・。

彼女の個展がミロ美術館でこの日スタートしたのだ。
もともと私も大好きだったのだが、
日本でこの話題に乗っかれるのは、ウタさんくらいだったので、
ウタさんの来訪を待っていたようにこの展示が始まったことに、
ちょっとした奇跡を感じた。

今回のテーマは"sentimientos electrónicos(電子的感覚)"
ビデオアーティストの彼女の得意とするところかな。


天井や壁に映し出される映像を
床に枕で寝っころがってひたすら眺める。
イノセントと思いきやグロテスク。

水の中の映像が多いのに浮遊している感覚に襲われる。


しばらく眺めているうちにそのまま寝そうになる・・・。


十分ピピロッティ&ミロを堪能した私たちだが、
何よりも私を喜ばせたのは、
お庭でお飲物のサーブが始まったこと。


理由はなんだかよくわからねど、
「いただけます?」と恐る恐る聞いてみたら、
あっさり「何がよろしくて?」とお答え。

もちろんカヴァ頼んじゃった。
ひたすら作品を鑑賞した後のキンキンに冷えたカヴァ。
これグッと効きたわ〜。


午後9時を過ぎてもいっこうに暮れない空を眺めながら、
ほろ酔い気分でモンジュイックの丘を下った私たちであった。



17 July 2010

友人来たりて観光 - Ripoll編


少々触れてましたが、先週から今週にかけて日本からお友達来訪。
戦陣を切ってバルセロナの到着ゲートに現れたのはUtaさん。


日本でいつもごちそうになっていた手作りパンをいただきながら、
改めてはるばるやって来てくれた喜びを噛み締めるのであった。




さて、Utaさんとお出かけしたのは、
Ripollというバルセロナから電車で2時間程の小さな村。
ピレネー山脈の麓、カタルーニャ州のジローナ県にある。


なぜここかと言えば、
彼女がアメリカ留学時代に寮が同じだったという
カタルーニャ人、Miquelがこの村の出身で、
連絡を取ってみたら、「じゃあ明日!」ってことになり、
急虜訪れることになったのだ。
留学以来の再会ということでそんな偶然がうれしい。





上の写真の背景、新潟とかではない・・・。
でも雄大な山々に囲まれて、棚田っぽい作りもあり、
なんだか日本にいるような錯覚に陥ったわ。


Miquelの実家はホテルを経営していて、
大きなプールはあるわ、
レストランのお料理はおいしいわで、
なかでもMatóというヤギやヒツジのお乳を使った
カタルーニャ原産のフレッシュチーズに、
ハチミツをかけていただくデザートが絶品。


今回訪れて驚いたのは、
Miquelが自分の生まれ故郷を完璧にガイドしてくれたこと。


こちらバルセロナ伯ギフレが中世に建設した
ロマネスク様式の教会、Monesteir de Santa Maria de Ripoll
その歴史やレリーフのひとつひとつの意味を
まるで本物のガイドさんのようにご案内していただいた。


大学で地質学を研究してたというMiquel
熱心に教会内の石がいつ、どこから来たものかを観察中。




少々ドライブしてたどり着いた丘の上。
中世の街並みがそのまま残っていた。
ここでも生えている草木の名前やその活用法まで、
とにかくMiquelの説明は完璧!





Utaさんに便乗してステキな思い出ができた。
この日、ワールドカップ準決勝観戦予定で、
バルセロナに戻らなきゃならなかったのが惜しまれる。

今度ゆっくり遊びに行こ〜っと。





12 July 2010

赤と黄色の微妙な関係

ワールドカップスペイン優勝!!!
先ほどバルから帰宅したが、街は例によってお祭り騒ぎ。
祝福のクラクションの嵐ざんす。
帰りのメトロは都内の朝のラッシュをしのぐ程で、
汗だくの人たちであり得ない混みようだったわ・・・。




こんな歴史的瞬間にスペインにいれたことは本当に喜ばしいこと。
日本からの友人と観戦できたことでより一層思いで深いものに。

しかしながら、この前日、バルセロナではもう一つの歴史的瞬間が。
次の写真の旗の模様をよーく見ていただきたい。

7月10日の様子


7月11日の様子

上の写真がカタルーニャの旗。
下の写真がスペインの旗。
赤と黄色、同じ色だがそれの意味するところには大きな違いがある。

実はワールドカップ優勝前日、
バルセロナでは参加者150万人ともいわれる
大規模なデモが行われた。
カタルーニャの総人口730万人、バルセロナは160万人だから、
その規模の大きさはこの数字だけでおわかりいただけるかと思う。
私が通りかかったときは、デモも終盤に近い頃だったが、
今回の中心地グラシア通りは、今夜のワールドカップ優勝後と
比較にならない程の人出だったことは間違いない。




このデモ、何を訴えるためかといえば、
カタルーニャの独立について。

かつてカタルーニャ自治州は「カタルーニャ自治憲章」
というものを作り住民投票、自治州議会、
そしてスペイン国会で承認されたのだが、
その後スペインの保守政党PP(国民党)が
この自治憲章を憲法違反だー!と訴えた。

それから4年程、ああだこうだと憲法裁判所での
審議にかけられ、宙ぶらりんな状態が続いていた。
そして先日、ついぞその結果が出たと思えば、
その内容は大幅に修正され、跡形もないようなものに・・・。

これにはカタルーニャの人々、怒り心頭!!!
そして今回の大集結となったわけだ。


デモを呼びかけるポスターにはこうある。
「わたしたちは決めた。(カタルーニャが)一つの国であることを」


ま、言いたいのはこういうことらしい・・・。

ただ、皮肉なことに、
昨日のデモであれだけの人が集まったというのに、
本日のワールドカップ優勝でスペイン国内において、
カタルーニャ市民の声はかき消されたも同然。
もちろん今朝の新聞にはデモの話題が一面だったけど、
明日にはメディアはワールドカップ一色で、
この件は一掃されちゃうのかな・・・と思うとちょいと切ない。
そしてそういう仕組みが意図的であったとしたら恐ろしい。

日本で放映されたかどうかは定かじゃないけど、
ワールドカップの授与後、バルサの選手であるプジョルが
ピッチでカタルーニャの旗をフリフリしている姿が印象的だった。
スペイン代表として戦った彼がですよー。
こちらのバルではイニエスタのゴール同様、ここが一番盛り上がった!
今まで代表として戦ったこと越えて、
世界の場で表現することの意味って、
とても大きいと思うのだった。
スペイン国民がデモのことを忘却の彼方に持って行こうとする中、
このシーンが誰かの記憶に残ったら、声が届く日もくるのかな。。。

本日の帰り道、昨日のデモの残骸を見て、
自分自身の昂揚気分が少しおさまったのだった。



カタルーニャ語でこう書いてある、「さよなら、エスパーニャ」
素直に喜べない、そんなバルセロナからのレポート。